酷な判決です。91歳の認知症爺さんが徘徊して電車事故にあった。名古屋高裁は老老介護をしていた85歳のお婆さんにJR東海への損害賠償を命じた。監督責任だそうだ。徘徊する認知症の爺さんは家に閉じ込めておけ!外に連れ出すときは、犬と同じに鎖でつなげ!という論理だ。
徘徊するのは犯罪ではないでしょう。認知症になるのもなにか努力不足や、不摂生のせいではないでしょう。たぶん認知症になり、そしてたぶん徘徊するであろう私としては、声を大にして言いたい「徘徊してどこが悪い!」
徘徊の結果、行き倒れて凍死したり事故死したりするのは自分の責任なんだから仕方ない。だけどその責任を、自分を介護してくれる人間に負わせるのはあんまりだ。徘徊のせいで、いろいろ世間に迷惑をかけるのは心苦しい。申し訳ないと今から謝っておきます。だけど、それが私を介護する人間の監督責任だというのは違うと思う。認知症であれ責任は自分にあるのだ!
認知症はどこにでもある、誰でもなりうる病気です。当然長生きするとリスクは高くなる。認知症が増えたのは医療の進歩や食糧増産・環境整備等の誇るべき結果であり、多くの人々の努力の成果の一つなのです。「高齢化社会」 いろいろと新しい倫理やルールが必要になってきます。是非認知症にやさしい、ある程度は徘徊自由な社会になって欲しいなと願っています。
法律は国会が作るわけですが、利権に絡まない分野というのは本当に古いものが堂々とあったりして驚かされることになります。旧土人法なんてつい最近まであったくらいだし。
高齢化社会という言葉自体を「認知症社会」に変えるくらいのインパクトが必要かもしれません。
法律論では確かに保護者に責任がとなるのでしょうが。こういうところにも学歴や知識偏重社会の歪みみたいなものを感じさせられますね・・・。
あれ?おかしいなー コメントしたんだけれどゼロのまんま???
この裁判の結果は明らかにミスジャッジだと思います。
法律で裁く立場から行くとこうなるのでしょうが、無理に当てはめているだけとしか思えませんね。
国の無策というか政治の無策が悲しいです。時代にそぐわぬものが多すぎる気がします。
佐々木さん、ありがとうございます。認知症の義母も外に連れ出すと、活性化しておしゃべりになったり表情が明るくなります。(覚えてないけれど)
自分の未来のため、認知症を家や施設に閉じ込めない、自由徘徊同盟を立ち上げてみようかな(笑)